居安思危 2010 12 12
平和の時こそ、国防政策を考える必要があります。
有事の時には、誰もが異常心理になっていて、正常な判断はできないからです。
だからこそ、平和な時に、じっくりと考えておく必要があるのです。
まず、今日は、「専守防衛」ということを考えてみましょう。
この専守防衛という国防政策は、実は、残酷な政策です。
なぜならば、国民に多数の死傷者が発生してから、
政府は行動するという考え方だからです。
この「多数の死傷者」に、あなたの家族や友人が含まれていたら、どう思いますか。
専守防衛という戦法は、大昔の戦国時代ならば可能だと思います。
あの時代は、戦いを始める前に、身分や家柄を名乗ってから、
戦っても、まだ間に合ったでしょう。
ミサイル時代の現代においては、どうか。
そんな余裕など、ありません。
現代人は、「身分や家柄を名乗って」というところで笑ったでしょうが、
古代人たちも、ミサイルの脅威が迫っているのに、
「緊急会議」を開いている現代人を笑うでしょう。
現代人も古代人も、似たようなものです。
別の角度からも、話しましょう。
専守防衛は、広大な国土がある中国ならば、有効な戦法であり、
国土の狭い日本では、無意味な戦法です。
専守防衛とは、わかりやすく言えば、「本土決戦」という戦法です。
この意味がわかっていますか。
こんな戦法では、国土の狭い日本は、下手をすれば「全滅」です。
では、どうしたらよいのか。
それを平和な今こそ、考えていくべきです。
世の中には、こういう話をすると、
日本が軍事大国化するのではないかと心配する人がいますが、
私は、そんなことは、全く考えていません。
日本の国防政策を、せめてフランス並みかイギリス並みにしたいと考えているだけです。
「居安思危」
これは、平時に有事を想定し、危機管理を徹底するという意味でよかったでしょうか。
中国人に聞けば、すぐ回答が返って来るでしょう。